僕のはなし。


「先生のことが、好きです」

放課後、誰も居ないはずの教室からそんな声が聞こえてきた。
可愛い女の子の声。
夕暮れの影からそっと覗けば、見たことのない女子生徒が先生と向かい合っていた。
多分、違う学年の生徒だろう。
顔を赤らめ俯く様は、男子から見るととても可愛いものに違いない。
僕だって、あぁ、可愛い人だなって思う。けどそれが恋愛に繋がるかと言えば、答えはノーだ。
僕の思いは感想であって、感情ではない。

「……はぁ」

先生がため息をつく。
女の子は相手の動作一つ一つに体を震わせ、相当に緊張しているようだ。
そんな生徒に、先生がそっと顔を近づける。

「……、……」

内緒話をするように耳元で何かを囁いて、先生は小さく笑った。
真っ赤になった女子生徒も、やがては嬉しそうな笑顔を見せる。
僕は見つかってしまう前にと、その場から離れることにした。



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「……いいなぁ」

あの女の子が羨ましい。僕も告白してみようかな。
あの時、先生が女の子に笑ったように、僕にも笑いかけてくれるだろうか。

「普段不愛想なのに、あんなのズルいよ」

無自覚なところが本当に厄介だ。

「だからこそ、みんなが惹かれるんだろうなぁ。
 先生の愛情表現は少し変わってるけど」

誰も居ない校舎の裏側、大きな焼却炉の前でため息をついた。
錆びた鉄の扉は施錠されていない。
教師と生徒が、自由にゴミを放り込めるようになっている。
最後に学校の戸締りをする当番の先生が、帰る前にゴミを燃やして処理しているらしい。
早い時には放課後だったり、仕事で忙しい時には真夜中だったり、人によってそれぞれだ。
僕の大好きな先生は、もっぱら夜中に火を燃やしているみたいだけど。

「……羨ましい」

焼却炉を眺めながら、再びため息をつく。
要らなくなったプリントや給食の残り、古い本や壊れた備品を溜め込んだ焼却炉は、さながら、
学校の思い出がいっぱいに詰まった鉄の箱だ。
淡い思い出に浸りながら灰になった女の子達が、心底羨ましい。
……とはいえ別に、死を望んでいる訳ではない。
何となくでしか生きていないけれど、死にたいほどの毎日ではない。

「…………」

先生の行動は常軌を逸している。僕はちゃんと、理解できている。
けれど本人は、それを異常な行動だと認識していない。
まるで当たり前だとでも言うように、淡々と愛を返している。

…………異常者だ。

けど、その異常が先生の言う愛ならば、僕は全てを受け入れたい。
他の子達とは違う、僕なら、僕だけが、きっと先生の愛を受け入れることが出来る。

――きっと、僕なら。

「……なんてね」

思いを告げるつもりはない。
……だって、これと言った言葉が思いつかない。
”いつの間にか好きになっていました。”なんて、先生の印象にはきっと残らない。
その他大勢と同じく、先生の中で過去になって消えてしまうだけだ。
幽霊にでもなって、永遠と先生に付きまとえるなら、可能性はあるかもしれないけれど。

「……さすがに、ファンタジーだよね」
「何してるんだ」
「あ、先生」

足音に振り返れば、夕日で真っ赤に染まった先生が立っていた。

「下校時間はとっくに過ぎてるぞ、暗くなる前に帰れ」
「僕の事、心配してくれてます?」
「定型文」
「先生のそういう所、面白くて好きですよ」
「……変な奴。ほら、さっさと帰れ。鞄は?」
「そういえば無いですね。教室かな」
「……早く取ってこい、玄関閉めるぞ」
「はーい」

渋々と返事を返し、校内へと引き返す。
オレンジに照らされた廊下をゆっくりと歩きながら、後に続く足音に首を傾げた。

「ついてきてくれるんですか?」
「教室の鍵、閉まってるぞ」
「なるほど。……てっきり、可愛い生徒が心配でついてきてくれてるのかと」
「可愛い生徒は、教師にこんな手間を取らせない」
「手のかかる生徒ほど、可愛いものです」
「自分で言うな」

背中を押されて、嫌々に足を進めていく。
こっそりと隣を見上げれば、すぐに気づいた先生が視線だけを僕に向けた。
……そのままずっと、僕だけを見ていてほしい。
そう思い、何かを話そうと口を開く。

「先生」
「なんだ」
「えーっと……。あ、すごく赤いですね」
「そうだな」

真っ赤に染まった先生は、何てことない様子で返事を返してくる。
シャツを染める赤色は、きっとあの女の子の返り血だろう。
夕日の赤と相まって、僕にはとても綺麗に見えた。

「でも先生、普通の生徒はビックリすると思います。隠さなくていいんですか?」
「校内に残ってるのは、もうお前だけだ」
「さすがの僕も、突然血まみれの先生が現れたら、ビックリしますよ」

僕は先生の事情をずっと前から知っているけれど、先生は、僕が先生の秘密を知っているなんて
思ってもいないだろう。
いつもこっそりと隠れて見ていたし、見つかったことは一度もない。
だから何となく、知らないふりをした。たった今、先生の異常性に気付いたふりをしてみた。
けれど先生は、染まった半身を隠す素振りも見せず、足を止めて僕を見下ろした。

「今更だろ」
「え?」
「お前……俺の事、ずっと見ていたくせに」
「!!」
「別に構わねーよ。見られて困るもんじゃない。
 ただ、今度からはもう少しうまく隠れろよ、”――”」

先生が僕の名前を口にする。
呆然と見上げる僕に、先生は少しだけ笑った。

――僕が欲しくてたまらなかった、女の子達への笑い顔。

一瞬で消えたその表情は、けれど僕の鼓動を高鳴らせる。
苦しくて、思わず胸を押さえた僕に気付かず、先生は僕の背中を押した。

「ほら、教室着いたぞ」
「あ……」
「なんだ?」
「……いえ」
「鍵閉めるぞ。気を付けて帰れよ」
「……はい。じゃあ先生、また明日」
「あぁ、また明日」

先生の背中がどんどんと小さくなっていく。
それなのに、僕の中の心臓の音はどんどんと大きくなっていく。

「ッ……」

……例えば、一瞬の、最後の思い出になったとしても。
好きだと告げて、先生の愛を受け止められるなら。
もう一度、あの笑顔を僕に、一瞬でも僕だけに、向けてくれるなら。

「先生、僕は……」



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あの日から、何度目の放課後だろう。
明日からは夏休み、生徒も教師も、皆早々に帰ってしまった。
女子生徒が行方不明になってから一ヵ月も経っていないと言うのに、学校内では夏休みの予定で
盛り上がる生徒ばかりだった。
きっと皆、感覚が麻痺しているに違いない。僕だって、今は僕自身の事で頭がいっぱいだ。

「何だ、こんなところに呼び出して」
「先生……」

誰も居ない教室で、先生と二人、向かい合う。
あの日憧れた光景に、今度は僕自身が立っている。

「先生、」

今から、僕の気持ちを伝えます。
だから僕にも、先生の愛を返してください。
余すことなく、僕を刻んで、燃やして、灰になるまで愛してください。
…………先生。




「――僕のはなし、聞いてくれますか?」




僕のはなし。

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