春が見せた君の夢


「こうちゃん~~~!もう駄目だ、俺には才能が無いんだぁ~……」
「やる前に諦めるな、口を動かす前に手を動かせ」
「うわーん」

ぐだぐだと言いながら泣きついてくる孝文を手で制し、俺は目の前のノートパソコンへと向き直る。
彼が次のイベントにと用意した原稿は、ペン入れだけが済んでいる状態だ。前半だけ。
締切までまだ時間があるとはいえ、物語の後半から結末までのプロットすら組み上がっていないという計画性の無さには彼を叱責する言葉しか出ない。
部屋中に散らばったコピー用紙の海に沈んでいく孝文は、本当に思い悩んでいるのだろう。難しい顔をしながらうんうんと唸っている。
俺は目の前のデータを保存し、その場から立ち上がった。

「コーヒーを入れてきてやる。少し休もう」
「んー……ありがとう、こうちゃん。すき」
「す……少しは恥じらいを持ってくれ」
「告白してから吹っ切れたというか。ずっと言い続けたら、こうちゃん流されるだろうなって」
「初めての時は半泣きになりながら告白してきたくせに」
「あはは、だってもう半年経つから流石にね~」

そう、半年だ。
彼からの連絡をきっかけに再会し、告白されたあの日から半年が過ぎた。
けれどまだ、返事は保留にしている。
孝文のことは嫌いじゃない。だが、恋愛感情をもって好きかと言われると、分からない。その旨を伝えると、彼はなぜか嬉しそうに笑ってくれた。誰もが”デリカシーがない”、”気が利かない”と評価する俺の言葉を、”誠実なんだね”なんて言いながら。
以降、孝文の趣味嗜好を知ったり、二人で過ごす時間が増えたりした。それは充実した日々で、このままでも十分幸せだと思う反面、彼への返事を先延ばしていることに時々焦りのような罪悪感を感じていた。

「あ、こうちゃん。足元気をつけてね」
「あぁ」

温かいコーヒーを持って部屋に戻る。
寝ころんでいた孝文は体を起こし、手招きをして俺を呼んだ。求められるがままに隣へと腰を下ろすと、彼は散らばっていたコピー用紙をかき集め、順番にめくっていった。

「初めてだからさ、その……こうちゃんに似た人と、俺に似た人を描くって」
「今回もモブおじさんだったら、俺はお前との縁を切っていた」
「そこまで!?……うん、なんかホントごめん……。それで、やっぱハッピーエンドにしたいじゃん?」

彼の手元を覗き込む。
白い紙を染める鉛筆の線は、迷いに迷って方向性を失っている。
例えば、幸せなキスをして終了。に、至るまでの躍動感あふれる戦闘シーン。例えば、両想いになってハッピーエンド。その過程に飛び交う色とりどりの魔法。
出来上がっている前半の原稿とは、まるで内容が異なっている。突拍子のない展開で、読者はもれなく置いてけぼりだろう。

「……なんかね、どうしても……おかしな話になっちゃうんだ」

静かな部屋に、紙をめくる音が響く。
開いた窓からはすこしだけ冷たい風が入り込み、季節の匂いが部屋の中を満たしていった。
……そういえば、今は一体いつなんだろう。

「どうすれば俺たち、幸せになれるのかな」

白い紙に、迷い線。
描けるはずのない未来は迷走し、妄想の域を出ることができない幼稚な非日常が、紙の中で笑っている。
めくればめくるほど俺たちの形は崩れていき、やがては意味を持たないぐちゃぐちゃの黒へと変化した。

「どうすれば、幸せになれたんだろう……なんて」

黒い線が紙の上で蠢き、夢見たハッピーエンドを喰らっていく。
俺は反射的に彼の手からそれを奪い取り、躊躇うことなく破り捨てた。

「お前が……そんな顔をするなら、いらない。結末なんて」
「こうちゃん……」

戸惑いながら見上げてくる孝文を抱きしめる。腕の中の彼に温度はない。ただひたすらに冷たく、俺に変わらない現実を突き付けてくる。それでも目を逸らすように強く彼を抱きしめれば、困ったように笑う声が耳元に響いた。

「大丈夫だよ、こうちゃん。泣かないで」

子供をあやす様に、背中をぽんぽんと叩かれる。

「俺はもう、一緒に結末を迎えることができないけれど、いつでもこうちゃんの幸せを願ってるから」

そんな言葉欲しくないと、駄々をこねるように彼の肩へと顔を埋める。髪を撫でる手は、きっと、彼が生きていれば、こんな風に。

「こうちゃん、泣かないで。
俺は死んじゃったけど、こうちゃんが覚えていてくれたら、消えてなくなったりしないよ」

彼の顔を見る。涙で滲んでぼやけた彼の顔を。
……本当に?
目をこすっても、孝文の顔がはっきりと見えない。
こうやって少しずつ、消えていく。忘れていく。そのうち、顔も、声も、思い出すらおぼろげになっていくのだ。

「大丈夫だよ。俺が居たことさえ覚えていてくれたら、俺はそれだけで幸せだから。……それでも、もし。こうちゃんが、望んでくれるなら」

孝文の指が、溢れる涙を拭っていく。
……温かい。
改めて彼の顔を見ると、今度はハッキリと見えた。嬉しそうに、照れくさそうに笑う彼の、懐かしい顔が。

「こうちゃんが忘れる事を恐れるのなら、俺がこうやって、こうちゃんの夢に化けて出てくるから。そしたら、嫌でも忘れられないでしょ?」
「……あぁ」
「だからもう、俺のことで泣かないで。いや、それはそれで嬉しいけど、同時に罪悪感とか申し訳なさが募るのでして……」
「どっちなんだ」
「りょ、両方?」

そう言って笑った彼に、つられて俺も笑ってしまう。
ひとしきり二人で笑い合った後、夢の終わりを知らせるように窓の外が明らんだ。

「ねえ、こうちゃん」

光が満ちていく部屋で、孝文はまだ真っ白なままの紙束を差し出してきた。

「……俺は絵が描けない」
「絵じゃなくてもいいんだよ。文字でも、何なら妄想だけでも。結末はハッピーエンド限定ね」
「……やってみる。上手くいかないかもしれないが、出来るだけ」
「うん!」

ふわり、暖かい風が春の匂いと共に部屋の中に満ちていく。
散らばった紙一枚一枚が意思を持ったかのように舞い上がり、視界は白い光に包まれた。

「孝文」

もう声は聞こえない。姿も見えない。
……ここから先は、俺一人で歩きださなければならない。

「……ありがとう」

自分の姿すら、白に溶けていく。
――夢が終わる。
呟いた俺の声に、彼が笑ったような、そんな気がした。



春が見せた君の夢

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