きれいな日


いつも通りの朝。
アラームの音で目を覚ます。カーテンから零れる光をぼんやりと眺め、しばらくしてから体を起こした。

「いい天気だ」

カーテンを開け、陽の光をいっぱいに浴びる。背伸びをしてあくびを一つ、いつも以上に目覚めがいい。
何がある訳でもないけれど、例えば旅行の日の朝のような。気持ちが弾み、どこかへ出かけてみようかという気分だ。
リビングへと向かい、いつものように朝食を取る。トーストを齧りテレビを見ながら、明日が約束の日であることを思い出した。だから、こんなにも嬉しい気分なんだろうか。しばらく会えなかった友人の顔を思い浮かべ、明日へと気持ちを高鳴らせる。

楽しみだ。すごく、すごく、楽しみだ。

何を話そう、何をしよう、何を着ていこう、どこに行こう。まるで、遠足前のおやつ選びだ。大人になった今では、300円の制限はない。鞄いっぱいに詰め込んだって、誰も叱りはしないのだ。

洗い物を済ませ、一通りの家事をこなしていく。
開けた窓からは風が吹き込み、部屋の中は春の匂いでいっぱいだ。あぁ、近くに咲いた桜を見に行こうか。そう思案しながら、掃除機のスイッチを入れる。隅々まで掃除して、次は洗濯物をベランダに干す。ひと段落でテレビを見て、昼食の準備に取り掛かる。男の一人暮らしには多すぎるほどの、大量のカレーを作りおく。

ひと段落。

うたた寝を挟みながら、午後三時過ぎ。減った小腹に、切ったリンゴを押し入れて、再放送のドラマを流し見た。

まるで平和。まるで幸せ。

天気もいいし、気分もいい。ゆっくりと流れる時間を感じながら、明日のことを考える。
明日のこと、明後日のこと、その次のこと。過去のこと、今までのこと、今のこと。溢れそうな思考を循環させて、柔らかい日差しに微睡んだ。

「いい天気だ」

こんな日はなんだって出来そうだ。
今までの小さな悩みなんて、どうでも良くなる日。
ポタ、ポタ、と。溢れ出した幸せをいっぱいに噛みしめて、目を閉じる。

――きれいな日、世界がキラキラと輝いた。






いつも通りの朝。
君が居なくなってから、そんな事にもなれた朝。
しばらく降り続いていた雨が止み、良く晴れた、雲一つない青空の日。
僕が交わした約束は、君を繋ぎとめるだけの力はなかった。明日の約束なんて無かったかのように、君は細い紐一本に身を任せて眠った。

「……いい天気」

眩しくて、眩しくて。
悩みなんて何一つなくなるような、綺麗な日。
彼の部屋には、全てが希望のそのままだった。綺麗に畳まれた洗濯物と、綺麗に掃除された部屋。大量に作り置いたカレーの鍋と、塩水を泳ぐ林檎ウサギ。少し傷んでいたけれど。
彼だけが撤去された、綺麗な部屋。ベッドの上に広げて置いた服は、僕との約束に用意したものだったのか。その真意は分からない。

絶望なんてそこにはなかった。何一つ、残っていなかった。

彼は死ぬ間際に、何を思っていたのだろう。
悲しみに打ちひしがれた欠片はない。希望に満ちたこの部屋で、彼は何を抱いていたのだろうか。相反する行動は、けれど何となく理解できる気がする。

――こんな綺麗な日には、ふと、眠りにつきたくなる。

衝動的に、誰かに背を押されるように。
眩しいからこそ、影が濃くなるのだろう。そうして、忍んだ自身の影に気付いた時、足が、腕が、体が眠りへと動くのだろう。

「約束、いつも先延ばすんだね」

ルーズな彼は、笑って許しを乞うのかもしれない。僕はそれを、ずっと許してきてしまった。今度こそ叱らないと、そう思っていたハズなのに。
言いたいこと、伝えたいことがたくさんあった。
きっとその言葉は、君を繋ぎとめるにふさわしい言葉だった。
メールでも電話でも、伝えられる時はあったはずなのに。それをしなかったのは、直接伝えたかったからだ。……結局、それが叶うのは随分と先になってしまったが。
ルーズではあるが、約束はきちんと守る彼だ。少しばかり、待たせておけばいいだろう。それが僕の意地返しだ。



綺麗な日、長らくの雨はやっと終わった。


きれいな日

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